女

　え、何言ってるか解んない？　え？　わっかんないなあ。見たんだよ。だから、俺が。嘘つくなって？　そういうなよ。嘘ならいいよ。でも違うんだって。だってさ、見えちゃったんだもんな。俺が一番怖いっつうの。なんつうか、髪を、こう、長く垂れ流してさ。リアルにテレビとかから出てきそうなの。しかも、隣の部屋の、おんぼろな押し入れに居るんだぜ？　音がすんだよ。ギイッギイッ、てさあ……。うわッ！　耳元でどなんなよ、え、ふざけんな？　バッカふざけるかよ、マジ、怖かったの。アレが女なんだ、って思ったね。お、ちょ、切んなよ？！　こんな話出来んのお前だけなんだから、でさ、近づいてくんだぜ。なにがって……だから、女だよ……。おい、聞いてる？　どんな女……って……なんつうかな、ほら、青ざめたっていうのかなああいうの……そんな感じでさ、意味わかんねえ言葉ずっとしゃべってんの。もー、すっげ怖かった。いや、見えたのはそん時だけでさ、もう見えねえんだけどさ。女ってこえーよ。マジで。

　彼はその填め込まれた義眼で何を見たのだろうか。見えぬ物を見てしまった彼は、こんどは物もいえなくなった。いや、そもそも、彼とは誰だ？　耳元には彼が好きだった音楽が流れ込む。彼が好きだったはずの音楽が流れ込む。どうして俺は彼が好きだった音楽を知っているのだろう？　何故彼が義眼だと知っているのだろう？　何故彼が物もいえなくなったと知っているのだろう？　彼を知らないのに。
　押し入れではまだギイッギイッっと音がするのだろうか。少なくとも俺の家の押し入れではまだギイッギイッっと音がする。見たくはないので見ないのだ。けれど、音は克明に何かが居ることを教えてくれる。それしかわからない。わからなくなってきた。何故聞こえぬ音が聞こえるのか。聴いたことのない音楽が俺を苛むのか。この耳は、音を捕らえたことなどないのに。けれど聴こえる。聴こえるのだ。そうだ。電話を。